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ゲーベン(ドイツ語:)は、ドイツ海軍の巡洋戦艦、モルトケ級巡洋戦艦の2番艦。第一次世界大戦勃発直後にオスマン帝国に売却され、16世紀のスルタン、セリム1世にちなんでヤウズ・スルタン・セリム(トルコ語:)と改名された。「ヤウズ」は、スルタン・セリム1世のあだ名である。二次にわたる近代化改装を経て第二次世界大戦後まで運用された。'')は、ドイツ海軍の巡洋戦艦、モルトケ級巡洋戦艦の2番艦。第一次世界大戦勃発直後にオスマン帝国に売却され、16世紀のスルタン、セリム1世にちなんでヤウズ・スルタン・セリム(トルコ語:)と改名された。「ヤウズ」は、スルタン・セリム1世のあだ名である。二次にわたる近代化改装を経て第二次世界大戦後まで運用された。'')と改名された。「ヤウズ」は、スルタン・セリム1世のあだ名である。二次にわたる近代化改装を経て第二次世界大戦後まで運用された。 == ドイツ海軍時代 == 本艦はブローム・ウント・フォス社によってハンブルク造船所で建造された。ゲーベンとは、普仏戦争で活躍したアウグスト・カール・フォン・ゲーベン(:de:August Karl von Goeben)にちなんで命名されたものである。本艦は、ドイツ帝国の海外侵食に押される形で新編成された地中海艦隊の旗艦として配備され、同じく新鋭のマクデブルク級軽巡洋艦ブレスラウを伴い1912年11月に出航し、道中を完熟訓練の場として地中海に到着した。地中海に配備後は「お披露目」として各地を周り、ギリシャ・ブルガリア・イタリア・エジプトを歴訪、1914年5月にはイスタンブルを訪れた。 同年7月28日にオーストリア=ハンガリー帝国とセルビアが戦争状態に入ると、本艦はドイツ帝国の参戦に備えてアルジェリア沖へ向かった。8月3日のフランスへの宣戦後に、2日に秘密裏に結ばれたドイツとオスマン帝国の同盟によってイスタンブルへの回航を命じられた。 ゲーベンは軽巡洋艦ブレスラウと共にアルジェリア沿岸を砲撃し、フランス陸軍の輸送を妨げようと試みた。砲撃自体は成功したものの、肝心の陸軍はまだ移動前であったために被害は限定的なものであった。むしろ、この行為は追っ手に自らの存在を証明する何よりの証拠となってしまった。これ以降、ドイツ地中海艦隊は「逃げの一手」を打ち地中海を逃げ回った。この頃、イギリス地中海艦隊は巡洋戦艦3隻・装甲巡洋艦4隻という強力な火力を持ち、高速軽巡洋艦4隻を擁する有力な戦力を持っていたのだが、ドイツ地中海艦隊はイギリス艦隊の追跡をかわした。 本艦隊はダーダネルス海峡へ到達、8月16日にイスタンブルに入りオスマン帝国海軍の巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリムとなった。一方、ブレスラウはミディッリと改名されて売却された。この時、乗組員はそのままオスマン海軍に移り、引き続きドイツ人将兵の手によって運用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゲーベン (巡洋戦艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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